不動産の履歴書
皆様、こんばんわ、gatsbyです(^_-)
前回は札幌市の不動産事情を説明させてもらいましたが、今回は自分の簡単な略歴な
ど書いてみようと思います。
私は不動産投資をはじめて10年ちょっとになります。
元々、田舎で下請け業者として零細企業を営んでました。以前にも書かせていただき
ましたが、下請けは元請業者から仕事をいただく事が多いのです。その依存から異常な
までの価格の値引きや無理難題を言われることも多々ありました。
そして、その事に我慢が出来なければ、仕事を切られるのです(+_+)
それがどんなに理不尽ででもです。
そんな状況下で、私は結婚し、子供が生まれました。
その時、私は思いました。
もし、このまま理不尽な事が続き、仕事が減っていったら家族はどうなるのだろう?
何か本業とは違うもので、家族の安心を手に入れられないだろうか?
そう思い、考えついたのが、不動産を買って家賃収入を得ることでした。それは、私
が大学を出てから地元に帰るまで、不動産会社の営業をした経験からでした。
「いいんじゃない、パパがそう思うなら。」
妻の一言で、私は決心しました。
それから、初めは札幌市内の中古戸建て(地元でも戸建ての賃貸は安定していたか
ら)を買おうと何件も見て回ったりしました。ぐずる生後六か月の娘を抱えた妻と一緒
に、札幌市内を探し回ったのを今でも思い出します。
その間で、偶然、メイン銀行の支店長がアパートの資料を持ち込んできたのです。
戸建てしか考えてなかった私は、戸惑い、迷いました。アパートともなると何千万も
ローンを組まないとならないし、払えなくなったら、家族にまで迷惑をかけてしまいま
す。
そんな時でした。
「ダメになったら、二人で頑張ればいいでしょ?私も働きにでるし。」
迷う私の背中を押したのは、またもや妻の言葉でした。
それが記念すべき一棟目のアパート経営の始まりでした。
そこからが本当の試練でした。札幌の特殊な不動産業界の常識や税金などの知識がな
いために、四苦八苦しました。当時は今みたくブログや助言をしてくれる人もなく、す
べてが手探り状態でした。銀行にも何度も頭を下げ、融資を頼み、契約寸前で融資を断
られた事もありました。週末、休みの日は札幌のアパートの空室を直す為に、朝4時に
家を出て、帰るのは夜中の1時とかは当たり前でした。それほど必死でした。
それから妻と二人三脚で、一棟また一棟と増やしていきました。
その後、最高十数棟まで不動産は増え続けていきました。部屋数も100室を突破し
ていました。
初めに妻と目標としていた十年目にたどり着いた事で、幾つか売却も経験しました。
そして私と妻が十年目にたどり着いた先には!!!
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